お侍様 小劇場 extra

     “不思議ふしぎ?” 〜寵猫抄より
 


          



 その日も前日と変わらないくらい、空の青さも格別ないいお日和で。お昼ご飯を済ませてのひととき、庭先に干し出した洗濯物を、もう乾いたかなぁと鼻歌交じりに確かめていた七郎次。背後のリビング、開け放った大窓の縁には、サッシに掴まって立っちしている小さな仔猫が“みゃあぁ・にああ”としきりに鳴いている。七郎次を後追いしたいらしいのだが、框には結構な高さがあって。靴脱ぎ石でワンクッションをと構えたとしても、まだまだ小さな久蔵では そうそう“えいっ”とは飛び降りられない高さであるらしく。
「ダメだよ、危ないからね。」
 子供の成長は早いというから、まだまだ安心なんて思ってちゃあいけない。そこのところをちゃんと心得ている七郎次、放ってはおかずのちらちらと、視線をやりやり物干しへと向かう。風にはためく洗濯物は、もうすっかりと乾いているようではあったけれど。せっかくの陽気だ、殺菌を兼ねてのもう少し、ふんわりするように干しておこうと判断し、さあお待たせと戻りかかったその視野の中、

 「………え?」

 何かが掠めたの、確かめ直すようにして視線を戻す。見慣れた風景の中、見慣れないものがあったよな。サツキやツツジの茂みの向こう、結構な樹齢を誇る木蓮の樹の根方にひょこりと現れた人の姿があって。金の髪した小さな少年。ちょっぴり含羞みつつの もじもじと、七郎次を見て微妙に気後れしている様子なのが、何とも可愛らしい…そう、最近に出来たお友達じゃあありませんか。


  「えとあの、こんにちは。/////////」


 真白い頬が真っ赤に染まり、何とも かあいらしい様だったので。それをしばらくほど堪能していたいような気分になった七郎次だったのは、最近の彼には“惚れてまうやろ症候群”という困った病が取り憑いているため。はっと我に返ってのそれから、

 「ようこそ、いらっしゃいvv」

 青玻璃の眼差しを柔らかくたわめ、もう一つのお国からやって来た“キュウゾウ”くんへ、歓迎のお声を掛けていた彼だった。






        ◇◇◇



 さあさどうぞとリビングへ上がってもらい、まずはのご挨拶にこちらの仔猫の久蔵が、興奮しきりのまま、ど〜んと体当たりもどきの抱っこ抱っこと懐いた少年。
『わ…。これ、久蔵。』
 いきなり何しますかと慌てた七郎次だったが、
『平気だよ。だって久蔵の“どーん”は、大好きだよって印だもの。』
 余裕で微笑った、やっぱり いい子のキュウゾウくんを。ふっかふかの大座布団、ラグともいう敷物へと どうぞといざない。昼前のお買い物でおやつにと買ってあった、シュークリームを薄めのお茶と一緒にお出しして。

 「先にお邪魔したおりは、わらび餅をごちそうになったんだってね。」
 「え?」

 あれれ? こっちの久蔵は自分と違って猫語しか話せないのに。なのにどうして、七郎次はお菓子の名前までぴったり当てられたのかしらと感じたらしく。そして、七郎次の側は側で、こちらのたった一言から そういう辺りをすらすらと想起しての不審に感じた彼の聡明さへ、ほこりと微笑って感心しつつ、

 「時々ね、お料理やお菓子のご本を眺めたりするんだ。」

 皆で囲む格好になっていたテーブルの下、ちょっとした物を置けるようにと棚になっているところへ手を入れて、彼が引っ張り出したのは、随分と大きくてカラー写真も満載の、料理専門のグラフ誌で。それをお膝に開いて見せると、すぐ傍らにいた仔猫の久蔵が、それがいつものことだからか、器用にも本の下へともぐり込み、ご本を少し浮かせた七郎次の手元辺りでお顔を出して見せる。そうやってお膝にちょこりと乗っかった久蔵は、自分が紙面へ乗っかっても丈が余りそうな大きな雑誌を悠々と眺めており。そんな彼の、金の綿毛の乗っかった小さなおつむを見下ろしながら、七郎次がページをめくるという案配。変則の二人羽織のようになって、ぱらりぱらりとページをめくれば、

 「みゃっ、みゃあvv」

 とあるページでおチビさんが声を上げ、小さなお手々を広げると、大きな紙面をぱんぱんと興奮気味に叩いて見せる。何だ何だと勘兵衛やキュウゾウくんが首を伸ばして覗き込めば、
「あ…。」
 そこには…黒塗りの角卓の上、ガラスの鉢に笹の葉を敷いたというちょっぴり洒落た盛り付けの、わらび餅の写真が確かに載っており。
「食べさせた覚えはなかったのに、どうして知ってるのかなって思ったら、」
 七郎次はくすすと微笑うと、
「ほら、久蔵。誰のところで食べたのかな?」
 自分のお膝に鎮座まします愛し子の耳元で、そんな風に囁く彼で。すると、

 「みゃうvv」

 目許を細めて楽しげに微笑ってから、小さな両手を拳にし、自分の頭にそれをぎゅぎゅうと押しつける久蔵で。ごめんねというジェスチャーか、あるいは癖っ毛が撥ねてるのを押さえつけてるようにも見えなかないが、
「…キュウゾウ兄ちゃのトコって。」
 そういう仕草なんだよね、これってと。にゃんvvと微笑む久蔵とお揃い、目許細めて微笑った七郎次へ、

 「そうなんだ。////////」

 すっかりと“仲良しなお友達”に加えられていればこその、即妙な表現であり、それと判る把握でもあろうから。真っ赤っ赤になったお客様、自分のお膝に置いた手を見下ろし、ますますのこと耳まで赤くなっており。口べたで生真面目で、こんなに可憐な風貌に似合わず、きっと気性も真っ直ぐな。たとえれば小さな“もののふ”ぽい、一番新しくて一番小さなお友達。照れてる様子も純朴で愛らしいと、ほのぼの・のほのほ見守っておれば、

 「あのな。こないだ来たおりに…。」
 「あ、そうでしたね。」

 もじもじと切り出すキュウゾウくんに。皆まで言わさず、七郎次が綺麗な両手を胸の前で合わせて見せて、そのままひょいと立ってゆく軽快さは、

 “シチと同じだ。//////”

 一で十まで判るほど、それはよく気がつくところとか、働き者で動き惜しみをしないところとか。姿だけじゃなくそんなところまでがそっくりなんだなと、あらためて思い直しての見ておれば、
「ここへは迷子にならずに来れるのか?」
「え? あ、うっと…うん。暗い洞になってるところを通るのだけど、一本道だから。」
 シュークリームよりもお友達のほうが気になるか。七郎次から手渡されての預かった仔猫がお膝からむにむにと降りたがるのをいなしつつ。そんなことを訊いて来た勘兵衛へ、キュウゾウは素直に答えながらも…ふと その視線を留めて見せ、
「?」
「………。」
 こちらの御仁もそっくりなのにね。着ている服が違うってだけじゃなく、話し方だとか雰囲気だとか、それとそれと何とも言いようのない何かしらが違うので。わざわざ並べてみなくとも、自分の親代わりのカンベエとは全く違う人だというのがどうしてか判る。そして、何で判るのかが…今頃になって自分でも不思議だなぁと思えたらしく。

 「…んと。」

 勘兵衛をじっと見据えたまんま、ひょこりと立ち上がったキュウゾウくん。背中の後ろでゆらんと揺れた尻尾がやや膨らんでおり、どうやら何にか緊張をしておいで。そのまま とととっと、隠しごとでも手掛けるような素早い身ごなしでテーブルの縁を回って向かいにいた勘兵衛のすぐ傍らへと回り込むと、
「あ、あのな?」
「?? なんだ?」
 目許たわませ微笑ったお顔も、こんなに似ているのに何かが違う。頼もしいのに、男臭いのに、自分と暮らすカンベエとはどこかが違う。すとんとすぐ間近へお膝を落として座り込むと、ここまで寄っても何がどう障るのか、ついと身を寄せての耳打ちという小声になって、

 「あのな? …………匂いを嗅いでもいいか?」
 「匂い?」

 面と向かってそんなことを訊かれたのは初めてな勘兵衛だったが、だがだが見やったお顔は大真面目。久蔵よりも微妙に長じている分、無垢な甘さが薄くなってのその代わり。きりりとした冴えが仄かに滲み始めつつあるお年頃の少年のお顔が、だがだが今だけは…白い頬がほんのりと上気していて、なかなかに愛らしく。過ぎるほど容赦なく甘えかかる久蔵の幼さに、すっかりと慣れていた勘兵衛にしてみれば、

 “………おや。”

 よほどにきちんとした躾けをされているか、若しくは…自然と坊やが見習って身につけるほど、立ち居振るまいが毅然としている。そんな奥ゆかしくも淑やかなお人と過ごしているものか。こういう含羞み屋さんも悪くはないなと、ふと思い、ふふと小さく微笑ってしまい、
「?」
「ああ、いや。そのくらいのことなら、構わぬぞ?」
 さあおいでということか、屈託のない様子で双腕開いて広げて見せる。子供相手で警戒することもないと思われたか、いやいや、どうやらこっちの世界は随分と安泰で平和なところであるらしく。身ごなしや眸の配りなどには隙がないのに、こういうところが随分とおおらかで。

 「えと…。/////」

 こっちからお願いしといて、なのに…こうまで大胆に構えられてはと照れ臭くなっちゃったか。気圧
(けお)されたようにたじろいだキュウゾウ。それでも、
「ほれ。」
「わ。/////////」
 雄々しい腕がずいと伸び、二の腕掴まれて、あっと言う間に引き寄せられた。ふわりとした温かさが鼻先や頬へという間近になり、精悍な男性の充実した肉感が頑丈な楯みたいに迫って来たが、

 “………あれ?”

 くんくんと、すんすんと、何度も何度も嗅いでみたが、あれあれ?おやおや?と小首を傾げてしまうばかりなキュウゾウであり、

 「いかがした?」
 「うん、あのな?」

 匂いがしない。……はい?

 「洗濯に使ったのとか、体を洗ったらしいシャボンの匂いがするばっかりで。
  あと、七郎次のやさしい匂いがするばっかりで、勘兵衛の匂いはあんまりしないぞ?」

 こんなに男らしいのになと、彼もまた腑に落ちないというお顔で膝から降りつつそうと告げたのへ、
「…そ、そうなのか?」
 え?え?と、自分の手首辺りを鼻先へ持ってゆき、くんくんと嗅いでみせる勘兵衛で。顎下へそれなりに濃い髭をたくわえた、一端の壮年がそうそう取るような所作じゃあなかったものだから。何か取りにと立って行った七郎次が、戻って来たそのまま怪訝そうなお顔をしてしまい、
「…何なさってますか、勘兵衛様。」
「いやその。」
 儂は匂わないのだそうな。そりゃあ良うございましたね。いや、だからだな…。どう言えばいいものかと、物書きせんせいが言葉に困っているのをよそに。さっきまで上がってた勘兵衛のお膝から一緒に降りてのそのまんま、小さな久蔵がぎゅうと抱きついているお客様へ、

 「はい、これでしょう? 花びらを入れて来た小箱。」
 「うん、ありがとう。」

 先に来たときにうっかりと忘れ物をしてしまったの、取りに来たキュウゾウだったらしいと、あれだけのやりとりですぐにも判った七郎次だったようで。きちんと洗われ、丁寧に磨いてあったのを差し出せば、きゅうと懐ろに抱え込み、
「なんで、取りに来るかもって判った?」
「だって、とっても丁寧に使われていたようですし。」
 新品じゃあないからこその、角っこの丸みにさえ。大切に大切に使い込まれてた想いの滲んだ、温かみのようなものが感じられた小箱。蓋の端っこ、欠けたところを、漆で埋めて修繕されてもおり。そこを指さして“でしょう?”と微笑った七郎次の細やかな観察眼と、

 「だから、勝手に処分するなんてとんでもない。」

 そうと構えてくれた心遣いへ、

 「あ、ありがとう。////////」

 尻尾の先っちょ、きゅるんと丸め。柔らかそうなお耳をふにゃりと垂れさせ、照れたようにお礼を述べる様子の、何とも愛らしい小さなお猫さん。用向きはそれだけだったらしいのだけれど、そんな彼の辞去の雰囲気を察したか、

 「にゃあぁvv」

 帰っちゃダメと、小さな久蔵が腕にすがって離れない。昨日、黒猫のお兄さんとのお喋りで思い出した弾みもあって、遊ぼう遊ぼうというスイッチが、すっかりと入ってしまっているらしく。やわらかな頬をふくり膨らませているの、ああこれはそうそう簡単には折れないなと読み取った七郎次が、

 「キュウゾウくん、今日は何か急ぎの御用があるのかな?」
 「うっと…ない。」
 「じゃあ、予定になかったなら済まないことだけど。
  ちょっとだけこの子と遊んでやってってくれないかな?」

 お友達がいない訳じゃあないし、七郎次や勘兵衛も構っていはするが。それとこれとは別問題。大好きなお友達が来たのに、とんぼ返りなんて愛想がなさすぎて。このまま帰しては、ウチの子がしょんもり萎れてしまうの目に見えているものだからと。親ばかな我儘、ついつい口にした七郎次へ、

 「えと…うん。いいぞ?」

 キュウゾウくんの側からすれば、可愛い弟分のようなものでもあるのか。駄々をこねる甘えようも可愛いと、にっこり微笑って見せたのだった。






        ◇◇◇



 中庭で一番大きな木蓮の木まで、たかたかと駆け寄った小さな久蔵。その幹をペンペンと、小さなお手々で叩いて見せる。花の時期は終わっての、新しい若葉が梢を埋めかけている頃合い。根元近くで大きく枝分かれしていて、そこへ足を掛けての掴まっていた腕の力で体を持ち上げれば、やすやすと上がれるその股のところまで。まずはと登って、樹下に残されてた久蔵へと手を延べる。ちび猫さんもそこまでだったら自力で登れるらしかったが、それでも“ひょ〜いっ”と軽々引っ張り上げられたのが遊びめいてて楽しかったか。にゃあvvとたいそう嬉しそうなお顔になって、待ってたお兄さんの懐ろへ、ナイスキャッチで受け止められてる。

 「怖くなかったか?」
 「にゃっvv」

 平気だよと元気に笑い返すのへ、じゃあもうちょっと上へ行こうかと、陽盛りへ向けて少しほど斜めに張り出してる方の枝を、次の分岐まで。節槫立ったコブを足場に、よいせよいせと登ってゆく。
「うにゃ♪」
 いつもはもう片やの方の枝を足場にブロック塀の上へまでか、さっきの二股のところでお友達の黒猫さんとひなたぼっこか。そんな遊び方しかしないので、思わぬ高みへ向かっているのが、小さな久蔵にはドキドキの体験。小さな手が、掴まるところを探しかねてると、
「そっちの節のところ、そう。」
 キュウゾウが尻尾の先でくりんくりんと誘導してくれたし、枝の細い先へ先へと進むに従い、今度は久蔵の方を少しだけ先へと行かせ、ここの枝に掴まっててねと念押ししてから、お尻をぐいって押し上げてくれて。子供が二人、しかも久蔵の方は本当に小さな小さな仔猫なので、大した負荷じゃあないせいだろう。迫り出すようになって曲がった枝は、それほど揺れも軋みもせぬまま、小さな冒険者二人をなかなかの展望の見晴らし台へまで誘ってくれた。

 「わあ。」

 まだまだまばらな葉っぱの日傘の下、霞がかかったように淡い色合いの青空と、周辺の家々がぐるりぐるぐると見渡せる。石造りらしい妙に角張った家々が、ひしめき合うというほどじゃあないけれど、それでも柵や生け垣を境にくっつき合っての、一つところにたくさんあるのが何だか壮観。地面には真っ黒い石が敷き詰められているらしく、どこまでも平ら。荷車が乗り上げてはぴょこりと弾む、草の株も水たまりも、轍の跡も一切見えない。

 「原っぱや鎮守の森は、ここいらにはないんだ。」

 そういえば、商いの店がたんとあって、通りを人がたくさん行き来していた“町”には、石作りで漆喰壁の蔵が一杯あって、何だかこんな感じだったかな。でも、見渡す限りの道の上には人の姿は見えないけれど。原っぱならともかく、家がこんなにあるのにね。人声も立たぬし、鳶も舞わない。こうまで人工的な場所なのに、風の音のみという静けさの広がりようへ、不思議ふしぎと見ほれておれば、
「みゃあ♪」
 片方のお膝に腰掛けさせてたおちびさんが、ねえねえと 和菓子のしんこ細工のようにふわふかなお手々で注意を引いて。

 「え? もっと登りたいの?」
 「にあ・みゅうvv」

 お尻を支えてもらって、いつもよりも高いところへまで、既に登っている仔猫さん。か細い双腕持ち上げて、小さなお手々をぶんぶん振って、そりゃあ楽しそうにしておいで。前にも一度だけ、此処まで登れたことがあったにはあったけど、そのときは何にか驚いての弾みで登ったのであって。辺りを眺める余裕なんて、全くの全然 ありゃしなかったので、
「お外を遠くまで見るの、初めてなのか?」
「にあ。」
 此処に住んでる子なのにね。こっくりと頷く仕草もまだまだ幼い、どうかすると赤ちゃんに間近いほど小さな久蔵。ねえねえとこちらの腕引くその手にしても、ふくふくとした小ささなのが、自分の体重さえ支え切れるかどうかという危なっかしさであり。

 「…そだな。俺が抱えてやってなら、登ってもいいけれど。」

 お尻を支えて持ち上げるというやり方じゃあ、この先は危ないかもしれない。バランスを崩しても自分で反射的に周りへ掴まれるのならともかくも、支え切れないんじゃあ落っこちかねない。
「みゅぅう?」
「うん、おんぶしてやる。そしたら登れるぞ?」
 だって俺は日頃から神無村のもっともっと高い木にだって登ってるもの。支えてた手も自由になるなら、この木蓮の天辺まで軽々登れるぞと、自信満々応じてやって。

 「おぶい紐を貸してもらおうな。」
 「みゃvv」

 途端に やったやったと目許をたわめて笑うお顔の、何とも柔らかそうで愛らしいことか。自分よりも小さい子供を知らない訳ではなかったけれど。自分の方が大きいから、年嵩だから、この子へ何かしてやれるのが、きゅんとするほど嬉しいと思うのは、ちょっぴり初めてな感触・感慨で。これって、

 “………あ。俺、久蔵よりお兄ちゃんなんだ。///////”

 どうしよどうしよ、口許がほころんで止まらない。いつも守ってもらってばかりじゃあなくなって来た、お手伝いだってたくさん出来るよになった。シチからお使いやお手伝いを頼まれもするし、自分からだってお掃除にはちりとりが要るよなって機転を利かせられてもいる。それでも、こうまですっかりと頼られるような立場になったのは、もしかして初めてかもしれず。
「みゅ?」
 どうしたの?と小首を傾げ、懐ろという間際の真下から幼いお顔が見上げて来るのへ、あやや何でもないない////と。まだ少し赤くなったまま、何とか平気を繕って。背負うのに使う紐を借りなきゃと、出直しに木蓮から降りかかった二人だったが、

 「………え?」

 先に降り立ったキュウゾウが、最初の股のところで一旦待たせたおチビさんを“さあおいで”と受け止め掛けたその間合い。風が一瞬止まったような、無音無風の凪のような空隙が出来たのが、妙な違和感として察知出来。何もないことへ、だからこそ気づいたほどに、感性豊かで勘のいいキュウゾウ。それを大急ぎで埋めるよに、遠いところに沸き立った何かの気配が押し寄せて来るのも嗅ぎ取ると、

 「…っ。」

 どうしようかと迷う間もなくの素早い英断。腰掛けた姿勢から、えいとこちらへ飛び降り掛けてた久蔵を、腕を延べての押しとどめ。
「にぃあ?」
 何なに、どしたの? それまでの甘やかすような優しさから、急に表情が硬くなったお兄ちゃんへ。何があったのと、豹変ぶりの理由を訊きかけたおチビさんだったけれど、
「降りてくんな。いいな?」
「みゅ?」
 短い言いようもどこか乱暴。どしたの? 何へ怒っているの? さっきユサユサしたのいやだった? どうしてどうしてと不安がってる久蔵を、そこにいなさいと押しとどめていた小さなお兄さんの背が、ひくり震えて堅くなる。ざわざわざんっと、サツキやイヌツゲの生け垣蹴立てて中庭へまで、傍若無人にも飛び込んで来た乱入者があったからで。

 「わふっ、わうわうっ。」

 明るい毛色の、レトリバーの一種。よそ様の庭に乱入するという無体をしでかして、なのにあくまでも無邪気な様子といい、随分と大柄だが、もしかしたらまだ1年仔かも知れず。軽快なフットワークで駆け寄って来たのへ、

 「にゃぁ…。」

 わあ……と呆気に取られた久蔵が、だが、すぐさま ふるるっと震えてしまったの、横目で確かめたキュウゾウ。木蓮の根元に立ちはだかると両腕を左右に広げて見せる。

 「どっから来たんだ。帰れっ!」

 自分も久蔵も猫だから。敵意があるかないかは関係なく、犬という生き物が、あまり相性のいい存在じゃあない。幼いころに隠れ住んでた屋敷から、命からがら逃げたおり、非情にも追い立てた連中が小さな彼へとけしかけたのも犬だったし。小さな久蔵にしてみても、毛並みを逆立てながらも、逃げることも出来ぬまま、総身が固まっているのを見る限り。仲良しという方向での縁をつないでる存在じゃあないらしい。

 「わんっ。」

 のちに思えば 人懐っこい様子の犬であり、一気に襲い掛かって来なかった辺りからしても、遊ぼう遊ぼうと駆け寄って来たのかも。でもでも、そんなの、小さきものには判りようもない。はうはうという吐息の弾みようも、荒々しい攻撃に向けた興奮にしか感じられず、

 「ダメだったらダメだ。久蔵が怖がるだろっ! あっちへ行けっ。」

 隣近所で飼われているものなら、久蔵もこうまで警戒はしなかろうし、そもそも七郎次も子供らだけで庭遊びなんてさせはすまい。どこかから乱入して来た、招かれざる客。それしか判らぬ身のキュウゾウとしては、小さな友達を守るのが何よりも優先されることであり。ダメという制止の言葉の意味も分かるか、強引に飛びつきはしないままだったわんこだったが、よっぽどはしゃいでいたものか、後足で立ち上がってじゃれかかって来たのへは、

 “……わ。”

 突き倒されるか潰されちゃうか。それから咬みつかれでもするのかな。背条と同様、ピンと張ってた気概の芯が、これはさすがに…微妙に震えかかった刹那でもあったのだけれども。

  ――― きゃいんっ

 次に聞こえたのは、とっても甲高い鳴き声で。歯を食いしばってた自分が上げたものでは勿論ないし、そうかといって、じゃあこの場に他に居るのはというと…。

  「……え?」

 気づかぬ内のいつの間にか、ぎゅうと瞑ってた眸をそろそろと、恐る恐るに開けてみれば。まずはと見えたのが赤いもの。自分の前には茶色の犬が居ただけのはずなのに、周囲の新緑の緑とは真逆の色が、どんと間近に立ちはだかっていて。縮めていた身をそおと延ばせば、それが誰かの背中だと判る。それほどがっしりした人じゃあない。でも、すらりと伸びた背中の凛々しさは、何だかとっても頼もしくって。そんな誰かが見据えているのは、さっきまでキュウゾウたちへとじゃれかかりかけていた犬だ。さほどに剣呑な威嚇の気配は感じられなかったが、それでもどうしてか、さっきまでの弾けるような気配は消えうせ、きゅ〜んと怖々鳴くばかりのわんこであり。手を挙げるでなく怒鳴るでなく、なのに…これもまた威容というものか、じりと歩みを進めれば相手もじりと後じさり。じりじりと進めばじりじり下がるを、何合か続けてののち。そこからは表への玄関ポーチという曲がり角まで追い詰められた茶色のレトリバーくん。何とかちゃ〜んという呼び声に気づいたか、わっとその身を翻すとそのまま外へ飛び出してって。雲を霞と…なんて言いようは大仰ながらも、あっと言う間に表へ駆け去ってしまった。

 「わぁ…。」

 なんてまあ、強引な態度を保っている人なものか。背中しか見えないこっちからは伺い知れぬ、だが、よっぽどに怖い怖い雰囲気にて、ああまで無邪気だったわんこを追い払ってしまおうとは。一気に気が抜け、その場にへたり込みかかるキュウゾウの、二の腕をそっと掴んで支えてくれたその人は、やっぱり見覚えのなかった玲瓏な風貌のお兄さんで。ただ、自分と同じ金の髪をし、赤い眸をしているのが印象的で。肉薄な口許をかすかに開くと何か言いかかり、

 《 ………。》

 だがだが、即した言いようを思いつけなかったか。思い直したように凛々しい口許引き結ぶと、その代わりのようにぽふぽふと、キュウゾウの髪を撫でてくれて。

 《 …いい子だ。》

 含羞むようにほのかに微笑い、細められた目許のたたえた表情の、何とも言えない切なさよ。言葉を知らない焦れったさごと、でもでもたくさんの想いを滲ませていて。知らない人、でも、どこかで逢ってる? あれれ? おやや?と、思い出そうと仕掛けたその刹那、

 「キュウゾウくん? どうしたの?」

 リビングからは微妙に死角。姿が見えぬと案じたらしい七郎次の声がした。あ、そうだったとハッとして、戻らなきゃとそちらへ流した視線は一瞬のことだったのだが。そこから再び、元へとお顔を戻せば、

 「にあ。」

 視野の中にはさっきの人はもういなくって。その代わりみたいに小さな久蔵が、いつの間に木蓮から降りて来たのか、キュウゾウの着ていた上着の裾、小さなお手々でぎゅうと握っており。
「あ、あれ? 久蔵、さっきの人は?」
「にぁん?」
 何なに、何のこと? と。小首を傾げて見せるばかりであり。
「キュウゾウくん? どうかしたの?」
 何だか犬の声が聞こえたぞって勘兵衛様が。リビングにいたのがこれでも飛び出して来たらしい七郎次が大事はないかと案じてくれて、あれれ?おやおや?と。キュウゾウくんご本人までもが、キツネにつままれたようなお顔になってしまったのでした。





   ◇◇◇



 気を取り直してというおやつの練りきりとは別、最初のおもてなしにとお出ししたのが気に入ってもらえたらしいシュークリームをお土産に。小さなお客様、それじゃあと木蓮の木へ歩み寄る。小さな久蔵がとてとてと駆け寄ったのへ、

 「また遊ぼうな?」

 にっこり微笑った小さなお兄ちゃん。坊やよりかは指の長い、白いお手々でぽふぽふと、綿毛みたいな前髪を撫でてくれたので。こちらも“にぁん”と微笑うとこっくり頷き、じゃあねと小さなお手々を振った。どうなっているものか、ぶつかりもせずのふわりと自然に、あっと言う間に姿の消えた、小さなお客人。

 「何だか悪いことをしましたかね。」

 久蔵がどこか興奮気味だったことから、何があったか話してもらい、あらためて真っ青になった七郎次だったのは言うまでもなくて。後日に判ったのだが、ご近所さんが知り合いから預かったゴールデンレトリバーが、散歩の途中でリードをぶっちぎりにして駆け出した結果だったらしく。つまりは誰にも予測が出来なんだ突発事。話を聞けばそりゃあ人懐っこい飼い犬だったらしい…とはいえど、普段から慣れてでもない限り、猫が犬を苦手とするのはどうしようもないこと。だっていうのに、いきなり犬に襲われかけただなんて。キュウゾウくんだとて怖かったろに、引き留めたばっかりにとんだ想いをさせてしまったと、うんうんと気に掛けてるらしい七郎次だったが、
「何の、久蔵を怖がらせまいと、頑張っていたというじゃあないか。」
 自分よりも大きかった犬を相手に、久蔵を高みへ上がらせた木蓮へは近づけまいと。盾になっての立ちはだかり、威容で押して門扉から外へと追い払った武勇伝はなかなかなもの。

 「怖かったという想いより、
  追い払った手柄のほうを、ちゃんと噛みしめられる和子だろうよ。」

 あの面差しや眼差しの、凛々しさ支える緊張感は、芯の通った気概が成すもの。あの程度の経験なんて、次の勇気の糧にしてしまおうよと、頼もしそうに言う御主なものだから。

 「勘兵衛様、それって何だか父親のような言いようですね。」
 「父親には違いないさ。」
 「はい?」

 とてとてと戻って来て、七郎次がひょいと抱き上げた小さな和子の。ふくふくと柔らかい頬、すりすりと撫でてやり、澄まし顔になる勘兵衛だったりし。

  “あらまあ…。/////////”

 本当に自覚があって言っているのか、口先だけでの冗談めかしか。でもでも、意識の内に用意のあった言葉だったからこその、即妙な言いようには違いない。勘兵衛がこうまで褒めたほど、あんなに小さな頃から既に、凛々しくも真っ直ぐな眼差ししていたキュウゾウであり。そんな彼へと育んだのだろ、神無村のカンベエ様は、一体どんな方なやら。ウチの御主とは どこまで似ておいでなのかしらと、ふと興味がわいてしまった七郎次だったりするのである。






  〜Fine〜  09.04.25.


  *すいません。またコラボさせていただきました。
   藍羽様がご自身のサイトの方で、書いてくださってた仔猫のお話が、
   あまりに立派な作品だったので、
   アンサーというのも滸がましいのですが、
   お返し篇ということでvv
   だって、最初に書かせていただいたウチのは、
   単なるご紹介ってくらいの書きようだったんですものね。
   そこで、あらためてのご招待をさせていただきましたvv
   だってのに、ちょみっとおっかない目にあわせてしまってごめんなさいね?

   ちなみに、キュウゾウくんが健気に頑張っておいでの
   藍羽様のサイトはこちらですvv

   ウチのコラボなお話が全然OKだった方は、
   どうかお運びくださいませですvv

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

ご感想はこちらvv  

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